日本の森、モリのニッポン紀行

2020年12月6日からnote版「日本の森、モリのニッポン紀行」(https://note.com/samsil_life)に引っ越しました。

【近江國】高嶋郡・大川神社。

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大川神社を訪れる際、「式内社調査報告」に掲載されていた地図をグーグルマップ上に落とし込んでおいた。
その情報を大宮神社を発つ前にスマホで場所を確認する。
川に沿って西に向かえば自転車なら数分の距離である。

数分後、近くに来ているのは確かだが、落とし込んだ場所と現在地がほぼ重なりかけているにも関わらず、そこに神社らしき祠は見当たらなかった。

特別大きくなくともごく普通の神社であれば鳥居や社名が刻まれた標柱が立っていたり、背の高い木々が社叢林を形成していたりするはずである。
しかし目的地である大川神社は旧社地。
伊勢国で散々旧社地巡りをした経験から、社殿といっても小さなものだろうことは想像がつく。
また社殿すらなく碑だけが立つケースもひとつや二つではなかった。

川にかかる小さな橋の辺りを行きつ戻りつしながら祠を探してみた。
端からみれば集落内をウロつく怪しいおっさんに映ったことだろう。
昼下がりの集落には遠くで草刈機が草を刈る音が聞こえてもひとの姿を目にすることはない。
でも家の前には軽トラがとまっているからひとがいることは確かだ。

そのうちの一軒のお宅を訪ね、開いた窓から声をかけた。
すると昼寝をしていたとみられるおじいさんが窓から顔を出して返事をくれた。

「車庫があるさかい、入っていくと小さな祠があるわ」

小屋のような建物の横には草に覆われているけど足元に注意を凝らすと獣道のなような道がある。
小道をたどっていくと前方に小さな堂が建っていた。
これだこれだ! 

木々が邪魔して外からは見えなくなっているけど祠がまつられていた。
川とはいえない小さな流れの上を二本の丸太が通してある。
渡ると小さな広場に出た。

祠の前にはふかふかした苔がじゅうたんのように敷き詰められていた。
枝葉を広げた木立に遮られ地面まで十分に日光が届かないようだ。
神木であろうイチョウと間伐を施されていない木々が生い茂る。
周囲とは明らかに違う、ここは神域である。

トタン屋根で葺かれた鞘堂には木製の簡素な社殿が鎮座している。
軒部分には大川神社と書かれた扁額とともに祭神と関係するのだろうか、神像などが描かれた絵が掲げられていた。
まずは参拝。

それにしてもなぜここが旧社地なのだろう。
もともとこの場所に大川神社が鎮座していたが時代の流れで近くの大宮神社に合祀され、やはりここにも必要ということで再度まつられた、ということなのだろうか。
時をへていまでは合祀先と旧社地の二カ所にまつられている。

再び頭を下げて神域から戻ろうとしたら先ほど場所を教えてくれたおじいさんが様子を見にきていた。

「どうやってここに神社があること知ったんや」

不審そうに聞いてきたので「式内社調査報告」のことを話すと「ここは猪除けの神さんや」と教えてくれた。

「昔はクマもおったけど最近は見んな。シカやサルは最近になって出てくるようになったわ」

昭和十一年生まれというおじいさんは動物の話から始まり、いつしか昨今の日本と滋賀県の政治について熱く語り、最後にはこう嘆いていた。

「ここもだんだんとひとが少のうなった。滋賀県やったら大津、関西やったら大阪、日本やったら東京に行かなどうしようもあれへん」

今日中に近江国の残りの神社を巡りたいと思っていたから延々と続くおじいさんの話を時間を気にしながら聞いていた。

「そろそろ行きますね」

そう切り出すと「変な話聞かせてもうて悪かったな」と謝ってきた。

「いいえ、知らないことを知ることができて勉強になりました」

おじいさんの話はここに来ることがなければ聞けない話であるし、よそ者だからこそ聞かせたい話なのだと思う。

神社を巡るだけでも古社巡礼である。
そこに、土地のひとの話が加わるとよりリアリティーを伴う。

そうポジティブに考えようと思う。

写真は滋賀県高島市

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