日本の森、モリのニッポン紀行

2020年12月6日からnote版「日本の森、モリのニッポン紀行」(https://note.com/samsil_life)に引っ越しました。

【出雲國】意宇郡・佐久多神社。

f:id:samsil-life:20190723150628j:plain


意宇郡・佐久多神社には二社の論社が存在する。
式内社調査報告」によれば日御崎神社と嘉羅久利神社である。

日御崎神社は先に訪れた来待神社の対面にある丘に鎮座、一方の嘉羅久利神社は現在、安来市となっている広瀬町の広瀬中央公園横に鎮座する。
厳密にいえば嘉羅久利神社に合祀された佐久多神社が論社ということになるのだが。

両社の距離について名古屋にいるころには実感できなかったけど、松江での「プチ移住」生活にも慣れ土地勘がつき始めてきたころ、二つの神社の所在地があまりにも離れて過ぎていることに、思わず「本当か?」と声を上げてしまった。
簡単にいえば日御崎神社はJR山陰線来待駅が近いし、嘉羅久利神社は同安来駅が、近いわけではないが最寄りである。
ちなみに「式内社調査報告」で佐久多神社の項を執筆された興茂利先生は日御崎神社説をとっている。

来待神社の石段を降り民家と田んぼが広がる部分に戻る。
その部分を谷とすれば、谷を挟んだ対面の小高い山の中腹に日御崎神社は鎮座する。
社名が刻まれた標柱はなく、鳥居は参道である石段を上がる途中に立っていた。
鳥居をくぐりしばらく石段を上がると広場に出た。
拝殿のない社殿はこちらを向いて建っている。
大社造が多いこの地方には珍しい流造の社殿だ。
まずは参拝。

式内社と目される神社にしては社殿と倉庫のような建物があるだけでとくに見るべきものがないのは、明治期に吹き荒れた神社合祀令の影響のようだ。
その際、いったんは来待本宮神社に合祀されたものの復旧の願いが強く、昭和二年に旧社殿を本宮神社の御旅所とし、さらに昭和三十二年には本宮神社の境外末社となりいまに至っている。
当社が式内佐久多神社と考えられることについて短時間訪れただけでは分からないから「式内社調査報告」を参考にすると、日御崎神社が鎮座する場所は現在の地名・上来待佐倉からも分かるようにもとは「佐久良」という地名であった。
それで社名である「佐久多」と「佐久良」は同じような音とみなされたこと、また当社で出土した「紐鏡」の側面に「佐久多社」と刻まれていたことから日御崎神社=佐久多神社というラインが結ばれた。

ただ問題があって、延喜式では佐久多神社の次に、玉作湯神社や揖夜神社と同様「同社坐韓国伊太氐神社」が明記されている。
それがもうひとつの嘉羅久利神社説が生まれた背景にもなった。

写真は島根県松江市

 

f:id:samsil-life:20190723150736j:plain