日本の森、モリのニッポン紀行

2020年12月6日からnote版「日本の森、モリのニッポン紀行」(https://note.com/samsil_life)に引っ越しました。

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

【若狭國】遠敷郡・若狭比古神社二座。

18切符の季節になるといつも行き先に迷ってしまう。仕事のために泊りの旅はめったにできないので日帰り旅を計画、東なら神奈川辺り、西なら京阪神辺りまでなら無理なく帰ってこれる。もちろんそれより手前ならなおのことよく、福井県は18切符の旅の常連であ…

【若狭國】遠敷郡・多太神社。

「明けましておめでとうございます」FATBIKEを鳥居近くに立てかけてヘルメットを脱いでいると初詣に来たひとが僕に声をかけてきた。「おめでとうございます」すかさず返事をする。旅の途上で新年を迎えた。年末も年始も関係なくFATBIKEに乗って旅をしている…

【若狭國】三方郡・山都田神社。

山すそに広がる田んぼを横切り佐古集落へ。強風が体に吹きつけしんどいサイクリング。佐古の天神社を山都田神社とする考証があるみたいだが参考のよう。神社は防獣フェンス越しに鎮座。昼食時でひとの姿なく、入ってよいか声かけできず立ち去ることに。残念…

【若狭國】三方郡・闇見神社。

注連縄と笹で飾られた鳥居をくぐり石段を上がる。梅花の紋を描いた幕が賽銭を入れられないくらい拝殿にぴっちり張られていた。代わりに闇見神社と若狭天神の提灯がともる本殿で参拝。周辺には八岐大蛇退治の伝承があるという。闇見とは出雲の古い国名だから…

【若狭國】三方郡・能登神社。

数年前、能登半島を訪ねた。タブノキが社叢や民家の庭に、またご神体にまつられたりと多彩。能登におけるタブノキに特別な意味を感じた。なぜ若狭で能登なのか。能登野という地名ゆえ? 祭神の大入杵命が能登国造の祖だから? それより参道にそびえるタブノ…

【若狭國】三方郡・於世神社。

「式内社調査報告」於世神社の項。川中神社の写真を掲載するも於世・川中は別社と結論。それでも実際に訪ね、道路端に立つ鳥居をくぐる。背の高い木々に囲まれ鬱蒼とする小さな境内。でも何となく古社感には乏しい。奥には堂様の建物、なかをのぞくと基台上…

【若狭國】三方郡・彌美神社。

神社を目指し高速道路の橋脚の横を走り過ぎた瞬間、日向ぼっこしていたサルたちが慌てて逃げていき、ビックリ。山塊から突き出た舌状の丘に挟まれ鎮座する神社。境内に入ると正面の本殿が玉砂利上に浮上!? しかし地面と本殿の間には複数の柱。御大典記念事業…

【若狭國】三方郡・宇波西神社。

遠くから見た神社は緑のなかに建物をはめ込んだように後背の山と一体化している。手水の傍らに羽根を広げた鵜!? と思いきや胴に注連縄が巻かれた鵜形。精巧に作られ、近づくと口から水が出る仕組みになっている。なるほど祭神の鵜葺草葺不合命にちなんで鵜な…

【若狭國】三方郡・佐支神社。

若狭湾と久々子湖を結ぶコブのような二つの丘。神社が鎮座するのは湖側の寺山。出雲系の素戔嗚尊が祭神なのは日本海が近いからか。ただ神社自体はかつて別場所にあったそう。参拝後、階段を上がり頂きへ。秋葉小祠が海とともに、広がる田んぼと密集する家並…

【若狭國】三方郡・和爾部神社。

敦賀市内から関峠を越え美浜町に入ると丹後街道に合流。旧道の風情が残る町並から山側に向かうと鳥居が立ち、苔むした石段と重厚感ある拝殿に古社を感じる。社名から和爾氏の祖神をまつったであろう神社だが、後に勧請された日吉神社に庇を貸したら母屋を取…

【若狭國】三方郡・伊牟移神社。

若狭には胴回り樹高とも立派な木のある神社が多い。偶然だろうか、訪ねた神社の多くはそんな印象だ。遠くからも神社だと予想がつく消防署裏手の青々とした森。参道脇や本殿後方に太い幹のモチ、タブ、シイが並ぶ。見上げると密に重なる枝や葉の間から太陽が…

【若狭國】三方郡・御方神社。

旧街道の両側に立ち並ぶ朱色の常夜灯は神社が近い目印。石観音へ上がる参道、観音川にかかる橋のたもとに社名を刻む石柱がお出迎え。社名の御方は三方で、湖名であり郡名でもある。大社を想像するも実際はこぢんまりとした境内。手水では鶴と亀がなかよく水…