日本の森、モリのニッポン紀行

2020年12月6日からnote版「日本の森、モリのニッポン紀行」(https://note.com/samsil_life)に引っ越しました。

【出雲國】意多伎神社、同社坐御譯神社。

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出雲国風土記」をひもとくと、現在の意多伎神社に鎮座する神社が三社掲載されている。
神祇官社である「意陀支(おだき)の社」二社と非神祇官社である「食師(みけし)の社」の合計三社。
前者二社は意多伎神社、同社坐御譯神社に相当し、後者は倉稲魂命で、すべて意多伎神社に合祀されている。

旅のお供である萩原千鶴訳注「出雲国風土記」によれば、風土記掲載の神社は神祇官の神社台帳に登載の神社と登載外の神社に分けて列記されている。
前者はのちに式内社となるので古社巡礼の対象であるが、後者「登載外の神社」に関してはそこまで回りきろうとするとひと月の「プチ移住」期間には終えられないから、はなから相手にすることはなかった。

意多伎神社は小高い丘全体が境内になっている。
先に訪ねた式内野城神社といわれる能義神社もそうだった。
丘へ上がる登り口に立つ鳥居は獲物を体内に取り込もうと待ち伏せする怪物の口のようだ。
その奥に続く石段を上がっていくと参道というよりも登山道のような小道が奥に続いていた。
山上の古社だけあって周囲には胴回りが太く樹高の高い木々が立ち並んでいる。

しばらく歩くと本殿の裏側に出た。
いちおう拝殿まで230歩。
随神門の外側に出ると左手に石段、その先には鳥居と狛犬があったから、こちらが正門のようだ。
先ほどの鳥居は裏口だったのだ。

拝殿前に立って手を合わせる。
ここは狛犬の代わりにきつねの石像が参道を守っている。
手を合わせてから顔を上げると拝殿の扉に以下の文言が書かれた紙が張り出されていた。

「平成三十一年 初午祭 御宣託 早稲六分七厘、中稲六分0厘、晩稲六分八厘」

初めて目にするものだけど、字面を読めば何となく意味が伝わってくる。
稲の出来不出来の予測(占い)のようだ。
神社までの道のりには田んぼが多く、農家の方にとって作物の出来は気になるところだ。
それが占いの結果であるとすれば、細かい数字まで出してしまうところに神の国、出雲らしさを感じる。
当社の祭神には倉稲魂命が入っているそうだから、上の占いからして「登載外の神社」である「食師の社」のお祭りのようだ。
僕にとって初「非神祇官社」である(とくに大きな感動はないけど)。

式内社調査報告」によれば意多伎神社の祭神は大国主命
同じく合祀されている太田命は、「延喜式」で当社の次に記載されている同社坐御譯神社の祭神であるとされる。

写真は島根県安来市

 

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