日本の森、モリのニッポン紀行

2020年12月6日からnote版「日本の森、モリのニッポン紀行」(https://note.com/samsil_life)に引っ越しました。

【出雲國】秋鹿郡・大野津神社。

 

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出雲国の神社のなかで宍道湖に一番近い神社、といってもいいかもしれない。
なぜなら境内から湖に降りるための階段があるから。

一畑電車一畑口駅外側のベンチを借りて昼食をとったあと、再びペダルを漕ぎ向かったのは大野津神社。
駅からいったん宍道湖岸に出てそのまま線路と宍道湖の間を通る国道431線を松江方面へ走ると右手に森が見えてきた。
ちょうど津の森駅のすぐ南側である。

ちなみに駅名の「津の森」とは当社のことで「舟着場附近の湖岸に樹林があったことから生まれた地名で、現在もこの附近は「津の森」と呼んでゐる」と「式内社調査報告」には書かれている。
冒頭の境内から湖に降りるための階段とは船着場の名残かもしれず、手前にある常夜灯は灯台のような機能があったのかもしれない。

入口の玉垣にFATBIKEを立てかけ、鳥居をくぐり正面の拝殿まで20歩、まずは参拝。
拝殿に向かって左側に荒神さんがまつられている。
その辺りは小さな森になっているけど、山中や山の際にある神社のように鬱蒼としておらず、また胴回りの太い巨樹も見られない。

祭神は須佐之男命。
由緒によると当地は宍道湖北岸の重要な港であり海陸交通の守護神という機能と、干ばつのときには雨乞いを祈願する農耕神としての機能があるとされる。

興味深いのは干ばつ時に斎行された雨乞神事だ。
神事について由緒に書かれた内容を要約すると以下の通り。

→神主は斎戒して社殿に上がり二夜三日の祈願と称して三日連続の祈願を行う。
→神社に納められている蛇骨を出して飾り蛇頭を正面に安置。神主はそれに向かって大祓祝詞を上げて祈願。
→三日目の朝、蛇骨の一部を竹カゴ二個に納め鳥居のついた箱形の台に乗せ湖岸に運び、待機する四艘の船のうち一艘に安置して神職と供奉員が同船、もう一艘の衣裳船には楽師たち、二艘には各集落より選ばれた若者たちが乗り、湖上へと漕ぎ出す。
→船は湖上を西南方向へ漕ぎ出し、宍道湖の南北にある四つの山々を結ぶ線上で湖底に石の鳥居があると伝えられる場所に到達する。
→船の正面に安置した蛇骨の前で神職祝詞が奏ぜられ、次に蛇骨が入ったカゴに白木綿をかぶせ湖底に下ろす。
→ひとしきりの雅楽を奏じたあと、神職、供奉員、そして若者たちは裸体になる。若者たちが乗った船は神職・供奉員が乗った船の両脇に漕ぎ寄せ、水桶に水を汲んで神職たちに浴びせかける。
神職・供奉員を乗せた船の漕ぎ手は逃れようと、また若者たちの船も逃すまいと懸命に漕ぐ。
神職たちは激しい水飛沫に息も止まるばかりとなり悲鳴を上げると水を浴びせるのをやめ、一同身体を拭き元の装束を着け神社を目指し、無言のままで帰途につく。
→神社の境内が見えてくるころになると晴天が続いた空の一角に暗雲がたちこめ、待望の雨が降り始める。

近年だと昭和九年と十四年に行われたが、灌漑施設が整い作付けが早くなった現在では干ばつが起こりにくくなったのでこの神事は行われていないそうだ。

それにしても神事に出てくる蛇骨とは一体どんな姿をしたものだろうと気にかかる。
飾り付けた蛇骨の蛇頭を正面に安置する場面からはとぐろを巻いた蛇の姿を保った状態のようにも考えられるけど、蛇骨の一部を竹カゴ二個に納めることからすると分離可能な状態(そんな状態があるのかどうか)かとも...由緒には絵や写真が載せられていない以上、想像するしかない。

写真は島根県松江市

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