日本の森、モリのニッポン紀行

2020年12月6日からnote版「日本の森、モリのニッポン紀行」(https://note.com/samsil_life)に引っ越しました。

【出雲國】嶋根郡・美保神社。

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雲ひとつない真っ青な空の下には日本海の大海原が広がっていた。
遮るものがない目の前の風景。

島根半島の先端に位置する美保関灯台から日本海を眺めていたら、通路にカンバスを立て絵筆を握った絵描きのおじさんに声をかけられ少し立ち話をした。

「自転車で来たの? どっから?」
「名古屋です。でもいま松江に住んでるんです」

てっきり地元のひとかと思いきや絵描きのおじさんは岡山出身。
日本全国を車で旅しながら気に入った場所で絵を描いているという。
震災以降は東北に通う回数が増えたと話していた。
当日の天気のように明るく屈託のない笑顔の絵描きさん。
そんな生き方もあるんだな、そう思い灯台をあとにした。

松江から中海と美保湾を右手に見ながら美保関にやってきた。
「松江から」と書いたけど現在は美保関町松江市だから市内を移動したことになる。
市内といっても松江駅前の逗留先から三時間以上。
同じ松江市とはいえ端までやって来たわけだからそれなりに時間がかかるわけだ。

美保神社の前には鳥居の右手から「青石畳通り」というレトロ感漂う商店街が広がっていた。
とりあえず神社から参ろうと鳥居をくぐる。
石段を上がり拝殿までは165歩、まずは参拝といきたいところだが祈祷中のため、拝殿の外からそ様子を眺めていた。
どこかの会社のひとたちか、揃いの事務服姿で祝詞を読む神主の方向を向いてかしこまって座っている。

ご祈祷が引けたのを見計らい賽銭箱にお賽銭を入れて手を合わせた。
それにしても拝殿・本殿ともに巨大な建物だ。
来るのに難儀する島根半島の先端にどうしてこれほど大きな神社があるのか不思議である。
名神大社でないのは、古代よりも中世以降に隆盛したということなのだろうか。
大社造の本殿には向かって右に三穂津姫命、左側に事代主命をまつる。
二殿の間を「装束の間」でつないでいることから「美保造」とも呼ばれている。

神社でもらった略記には祭神として本殿に祀られた二柱を記しているが、「出雲国風土記」では嶋根郡美保の郷にこのように記載されている。

「天の下所造らしし大神命、高志の国に坐す神、意支都久辰為命の子、俾都久辰為命の子、奴奈宜波比売命に娶ひて、産ま令めし神、御穂須々美命、是の神坐す。故、美保と云ふ」

風土記」上では美保神社にまつられているのは御穂須々美命ということになる。
名前からして後世、御穂須々美命から三穂津姫命に変わらざるをえない理由があったのかもしれない。

神社と灯台を訪れたあと、昼食をとるために五本松公園に登った。
FATBIKEを押して登ったけど、それほどきつい山ではない。
そこにぜひ訪れてみたい場所があった。
山頂に到達すると「御穂社」への行き先を記した看板が出ていた。
FATBIKEをとめて歩いて向かうと、社名の書かれた標柱が立ち鳥居奥の小さい本殿は最近建てられたような新しさが感じられた。

出雲の旅で参考にした本「古代出雲を歩く」には御穂須々美命をまつる神社として掲載されていた。
とりあえず手を合わせたが、ここに来たとて何かがあるわけではない。
でも巨大な拝本殿を持つ美保神社と同じであろう祭神をまつる神社がこう近くにあるのも不思議である。

なお、僕自身にとっても不思議なことがあった。
美保神社の鳥居前にわが故郷、名古屋ナンバーの車がとまっていたのだ。
「Youは何しに美保関へ?」と聞きたかったが、あいにく車の持ち主と会うことはなかった。

写真は島根県松江市

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