日本の森、モリのニッポン紀行

2020年12月6日からnote版「日本の森、モリのニッポン紀行」(https://note.com/samsil_life)に引っ越しました。

【出雲國】秋鹿郡・惠曇神社。

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 出雲国風土記」では惠曇郷についてこのように書かれている。

「須佐能乎命の御子、磐坂日子命、国巡行り坐しし時、此処に至り坐して詔りたまひしく、「此処は、国稚く美好く有り。国形、画鞆の如き哉。吾が宮は、是処に造事らむは」故、惠伴と云ふ」

松江での生活で何かとお世話になった荻原千鶴全訳注「出雲国風土記」で現代語訳を見ると以下の通り。

「須佐能乎命の御子、磐坂日子命が国をめぐりなさったときに、ここにいらしておっしゃったことには、「ここは国が若々しく美しいところだ。地形はまるで画鞆のようだなあ。わたしの宮はここに造ることにしよう」だから、惠伴という」

磐坂日子命が目の前に広がる風景の美しさに感動し「画鞆」のようだ、といったことからこの土地は「惠伴」になったという地名譚として描かれている。

その「画鞆」について、同書のなかでは未詳としている。
広辞苑で「鞆」を引くと「弓を射る時に、左手首内側につけ、弦が釧(くしろ)などに触れるのを防ぐ、丸い革製の具」とある。
絵が書かれた鞆が「画鞆」なのか、鞆の丸みを帯びた形が惠曇の地形と似ているからなのかどとらか判然とはしないけど、目の前の景色が美しいと感じたから命は自分用の宮を造ろうと思ったことは確かだ。

惠曇神社を訪ねた当日は五月晴れ、ペダルを漕ぐたびに額に汗が落ち、降り注ぐ日光を浴びる背中はすでに汗びっしょりだ。
それでも海が近いせいか吹く風が心地よい。
日本海に注ぐ佐陀川に沿って走っていくと目印である松江市鹿島支所の建物を見つけた。
地図によると神社はその裏手側に鎮座する。

民家に挟まれた細い路地の入口に鳥居が立っていた。
その先にある石段を上がっていき隋神門をくぐると正面に拝殿が建っている。
そこまで170歩、まずは参拝。

拝本殿が鎮座する場所の右側には山側に入るための階段がある。
一度、平坦になった場所からさらに上がると斜面からせり出してきつ立する三つの巨大な石が目の前に現れた。
座王さん」と名づけられた巨岩には注連縄が張られ地面には串幣がまつられている。
拝殿の後方に本殿があるにはあるが、「座王さん」の姿を見てしまうと人工的な建物が仮の社のように思えてくる。
その迫力にひれ伏すように手を合わせた。

これまでにも巨岩を御神体としてまつる神社をいくつか目にしたことがある。
神が宿る石というわけだが、この座王さん、注連縄が張られてはいるが御神体というよりその名の通り、王が座った石という解釈の方がしっくりくる。
説明によると祭神である磐坂日子命が国巡りの際に腰掛けた石と伝わる。

巨岩に座った命の目線には、山と山に挟まれ緑豊かで、しかも丸みを帯びた海岸線を持つ海が近い郷が映っている。
まだだれの支配も固まっておらず海の幸も山の幸も豊富な郷だからこそこの地に自らの宮を建てようとしたのでは。
そんな勝手な想像を可能にするほどの巨岩である。

写真は島根県松江市

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