日本の森、モリのニッポン紀行

2020年12月6日からnote版「日本の森、モリのニッポン紀行」(https://note.com/samsil_life)に引っ越しました。

【出雲國】楯縫郡・宇美神社。

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かつて雲州木綿の集積地として栄えた平田。
一畑電車雲州平田駅を降り北側へ歩いて行くと妻入り土蔵造りの古い町並みが残る一角に行き当たる。
古社巡礼のついでに何度か通り過ぎたことはあったが、ゆっくり歩いたのは「プチ移住」で滞在していた松江の逗留先に妻が遊びに来たときのことだ。

出雲大社を参拝し松江への帰路、秋鹿駅近くのうなぎ屋さんに寄るには時間が早いので、途中の平田に寄ることにした。
時間つぶし程度になら歩けるだろう。
古い町並みに入りぶらぶら歩いていたら醤油屋さんの店先で高校生がみたらしを食べていた。
匂いにつられて店内に入り、並べられた醤油を眺めていると大女将が声をかけてきた。

「いらっしゃい、どちらからですか?」
「愛知県の名古屋からです」

妻がそう答えると大女将は驚いた表情をして「名古屋のどちらですか? 私は南区の大江にいたんです。戦前まで名古屋にいましたが戦後、父の故郷のこの場所に戻ってきたんです」と話してくれた。
大女将が暮らしていた南区は僕が住む熱田区の隣であり、工場の多い大江の辺りは何度か行ったことがある。
そこから名古屋の話に花が咲いた。
妻はミニサイズの醤油と「卵焼き作るときに入れると本当においしいですよ」と勧められた出汁醤油を買い求めた。
そのとき、松江で暮らし始めて十日後に訪れた宇美神社にも案内した。

FATBIKEをそのままの状態で朝一の一畑電車に載せ一路雲州平田へ。
出雲方面に向かう通学の高校生でごった返すホームに自転車ごと降り立った。
駅員さんの先導で改札を出て宇美神社へと向かった。

町なかに鎮座する神社なので苦になる坂を経ることなくたどり着けるからありがたい。
入口の鳥居と随神門をくぐり正面に控える拝殿まで60歩、まずは参拝。
本殿を囲むように末社荒神さんなどが並んでまつられていたなかに不思議な空間があった。
タブノキと思われる木の根元に常夜灯が立ち賽銭箱が設置されていた。
荒神さんの一種なのか、または他の樹木神なのか分からない。
とりあえず手を合わせた。

当社は社名からして海と関係がありそうと思いきや、由緒によると主祭神布都御魂神が出雲国に来臨したとき、海上よりこの楯縫郡に上陸したことがきっかけであるという。
しかし現在神社が建つ場所は宍道湖までは遠くないものの、日本海からだと山塊を越えなくてはならない。
神さまだから海だろう山だろうと一足飛びということなのかもしれないけど、それだと説明として乱暴すぎる。

由緒によると宇美神社は長廻家の氏神、廻大明神とある。
式内社調査報告」の説明で補うと、その廻大明神、もとは海津見神を祭神とする海童神社として日本海側の塩津村に鎮座していたそうだ。
その後、長廻家が楯縫郡沼田郷廻の奥の丘陵上に移したことで現在の場所に近づくことになる。

現宇美神社の前身とされる熊野権現紀伊熊野から分霊されたのは応永元年。
そして天正十六年、それまで散在していた周辺の神社を熊野権現に集約した折、廻大明神も熊野権現に合祀されてしまった。
その経緯から、明治期に宇美神社を名乗るようになった。

僕としては雲州平田駅から山を越えて日本海側に出るよりも駅近くの現在地にある方が楽に参拝できたからありがたいが、熊野権現の分霊を当地にまつったのも参拝の便がよいという理由だったらしい。
人間が考えることは似ている。

ちなみに、妻がもう一度島根に行くとしたら、平田の醤油屋さんに行きたいといっていた。
お気に入りの場所になったようだ。

写真は島根県出雲市

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