日本の森、モリのニッポン紀行

2020年12月6日からnote版「日本の森、モリのニッポン紀行」(https://note.com/samsil_life)に引っ越しました。

【出雲國】出雲郡・同社大穴持海代日古神社、同社大穴持海代日女神社。

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延喜式に掲載されている同社大穴持海代日古神社と同社大穴持海代日女神社の二社。           
現在そのような社名の神社は存在しないが、祭神である大穴持海代日古と大穴持海代日女をまつる神社として「式内社調査報告」では来阪神社を挙げている。

「来阪」と書いて「くるさか」と読むそうだが、それも明治に入ってからのこと。
もとの「来成天王社」という名前では神社の維持が難しく社格を得られないという理由で名前を改めることになったそうな。
そこで「延喜式」よりも一段古い「出雲国風土記」に出てくる「来坂社」(クサカノヤシロ)が考えられたが、あいにく近くに「久佐加神社」があるため紛れないよう「来阪神社」に変更したという経緯がある。

この説明でも触れているように神社の沿革を「来坂社」に求めている。
なら「来成天王社」の「来成」はなんだろう。
式内社調査報告」には「坂を成と字形似たる故に来坂を誤り」という「式社考」の意見を首肯できるものと紹介している。
天王社を勧請したのが中世ころとすれば、長い期間、誤字のままで信仰の対象となってきたことになる。
結構いい加減なもんだなと思う半面、昔の日本はそれくらいおおらかだったともいえる。
前述のように久佐加神社から近く、久佐加神社に大穴持命がまつられているのは御子神をまつる二社の本社的な位置づけからではないかという考え方もあるようだ。

国道55号線北側の山塊に鎮座する。
「神門谷」と書かれた標識を頼りに走っていくと坂の手前に社名が書かれた標石が立っていた。
しかしのっけからの激坂にFATBIKEではまったく歯が立たず、押して歩くことになった。
平たんな道はなく、ひたすら押していくと眺めがいい場所に出た。
視界に広がる出雲平野とその真んなかには出雲ドームがお椀をひっくり返したような姿でたたずんでいる。

休憩を終え、さあ神社へというところで前方に消防車と消防関係者、それに警察官の姿があった。
もしかしたら事件? 
僕まで怪しい目で見られたら嫌だなと思いながらあいさつしながら通り過ぎたが、その場は和んでおり、事件性の緊迫した空気ではなかった。

そのまま神社へ。
入口の鳥居をくぐって石段を上がり拝殿まで145歩、まずは参拝。
境内は山のなかにあるのでそれだけでも緑豊かなのに、スダジイの巨樹がそびえ立ち、枝葉を広げていた。
大きさは出雲市内最大級で市の銘木とされており、森の主といってもいいほどの存在感。
ここに大穴持海代日古と大穴持海代日女といった海と関連する名を持つ神さまが鎮座するのがウソのようだ。
山が豊かであればその栄養分が川を経由して海に届くことで海も豊かになる。
もしかしたら古代人もそのことを知っていたのではないだろうか。

写真は島根県出雲市

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